猴に関する伝説(その34)

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  • (民俗2の13)



     

    また按ずるにホワイトの『セルボルン博物志』に牛が沢中に草食う際、鶺鴒その身辺を飛び廻り、鼻に接し腹下をくぐって牛に著いた蠅を食う。天の経済に長ぜるかかる縁遠き二物をして各々自利利他せしむと書いて、利はよく他人同士を和せしむというたは、義は利の和なりてふ支那の文句にも合えば、ちと危険思想らしいがクロポトキンの『互助論』にもありそうな。おもうに鶺鴒は支那で馬の害虫を除く功あるのでなかろうか。

    張華の『博物志』三に〈蜀山の南高山上に物あり、※(「けものへん+彌」、第3水準1-87-82)猴のごとくたけ七尺、能く人行健走す、名づけて猴※こうかく[#「けものへん+矍」、127-10]という、一名馬化、同じく道を行く婦人に、好き者あればすなわちこれを盗みて以て去る〉、『奥羽観跡聞老志』四に、駒岳の神は、昔馬首獣の者生まれ、父母怖れて棄つると猴がくずの葉を食わせて育てた、死後この神と成ったとづ。『マハバーラタ』にはハリー神女が馬と猴の母だという。こうなるとどうも猴と馬が近親らしい。

    ※(「金+今」、第3水準1-93-5)こけんけい』に猴を厩にえば馬のために悪を避け、疥癬を去るとある。悪を避けは西洋でいう邪視を避くる事でこれが一番確説らしい。アラビア人など駿馬が悪鬼や人の羨み見る眼毒にあてらるるを恐るる事甚だしく、種々の物をびしめてこれを避く。和漢とももと邪視を避くるため猴を厩に置き、馬をにらむものの眼毒を種々走り廻る猿の方へ転じて力抜けせしめるたくらみだったのだ。また疥癬を去るとあるより推すに、馬の毛に付いた虫や卵を猴が取って馬を安んずるのかも知れぬ。

    烟管キセルを掃除したり小児の頭髪を探ったりよくする。『新増犬筑波いぬつくば集』に「秘蔵の花の枝をこそ折れ」「引き寄せてつぶり春風我息子」「しらみ見るまねするは壬生猿みぶざる」。壬生猿何の義か知らぬが、猴同士虱を捜り合うは毎度見及ぶ。しかるに知人アッケルマンの『ポピュラー・ファラシース』にいわく、ロンドン動物園書記ミッチェル博士がかの園の案内記に書いたは、世人一汎に想うと反対に、猴がのみわるる事極めてまれだ。そは猴ども互いにしばしば毛を探り合うからだが、それにしても猴が毛を探って何か取り食うは多くは蚤でなくて、時々皮膚の細孔から出るからき排出物の細塊であると。ただし虱の事を書いていないは物足らぬ。

    この話で思い出したは享保二十年板其碩きせきの『渡世身持談義』五、有徳上人の語に「しからばあまねく情知りの太夫と名をあらわさんがために身上みあがりしての間夫狂まぶぐるいとや、さもあらば親方もり手も商い事の方便と合点して、あながちに間夫をせき客の吟味はせまじき事なるに、様々の折檻せっかんを加うるはこれいかに、その上三ヶ津を始め諸国の色里に深間ふかまの男とくるわを去り、また浮名立ててもその間夫の事思い切らぬ故に、年季の中にまた遠国の色里いろざとへ売りてやられ、あるいは廓より茶屋風呂屋ふろやの猿と変じてあかいて名を流す女郎あり、これ皆町の息子親の呼んで当てがう女房を嫌い、傾城けいせいなずみて勘当受け、跡職あとしきを得取らずして紙子かみこ一重の境界となるたぐい、我身知らずの性悪しょうわるという者ならずや」、風呂屋の猿とは『嬉遊笑覧』九に、『一代女』五、一夜を銀六匁にて呼子鳥、これ伝受女なり、覚束おぼつかなくて尋ねけるに、風呂者を猿というなるべし。暮方より人に呼ばれける(風呂屋女に仇名あだなを付けて猿というは垢をかくという意となり)とあり。

    正徳元年板其碩きせきの『傾城禁短気けいせいきんたんき』に「この津の橋々に隠れなき名題の呂州(風呂屋女を指す)猿女上人」、一向宗の顕如けんにょに猿をいいかけたり。元禄十三年板『御前義経記』五にも「以前の異名は湯屋猿と申し煩悩の垢をすりたる身」とあり。それから『信長記しんちょうき』八「美濃近江の境に山中という処、道傍にいつも変らずいる乞食あり。信長その故を問うに在処の者いう、昔当所山中の処にて常磐御前を殺せし者の子孫、代々かたわ者と生まれて乞食す、山中の猿とはこの者と、六月二十六日上洛じょうらく取り紛れ半ば、かの者の事思い出で、木綿もめん二十反手ずから取り出し猿に下され、この半分にて処の者隣家に小屋をさし、飢死せざるように情を掛け、隣郷の者ども、麦、出候わば麦を一度、秋後には米を一度、一年に二度ずつ取らすべしと」。これは代々不具な賤民をかおの醜きより猿と名づけたと見える。

     終りに述べ置くは、インドとシャムで象厩に猴をえば、象を息災にすと信ずる由書いたが、近日一七七一年パリ板ツルパンの『暹羅シャム史』に、シャムの象厩に猴を飼い、邪気が厩を襲えば猴これを引き受け象害を免がる。象は天禀てんびん猴を愛するとあるを見出した。邪気とは只今学者どものいう邪視で、猴が避雷針様に邪視力を導き去るから、象、難を免るるのだ。前述熊野の牛舎の例もあり、猴を繋ぐは馬厩に限らぬと判る。

    さて、前年予植物同士相好き嫌いする説をロンドンで出し大いに注意をいたが、その後彼方かなたよりの来信を見るに、綿羊は常に鹿の蕃殖を妨げ、山羊を牛舎に飼えば、牛、常に息災で肥え太る由一汎に信ぜらるという。ロメーンズの『動物智慧論』にも※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)わにいたく猫を愛した例を出す。惟うに害虫駆除とか邪視を避くるとかのほかに、実際、象、馬、牛は天禀猴を好むのかも知れぬ。この事深く心理学者や農学者、獣医諸君の研究をつ次第である。

    (大正九年十二月、『太陽』二六ノ一四)

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    底本:「十二支考(下)」岩波文庫、岩波書店
       1994(平成6)年1月17日第1刷発行
    底本の親本:「南方熊楠全集 第一・二巻」乾元社
       1951(昭和26)年
    初出:概言1「太陽 二六ノ一」
       1920(大正9)年1月
       概言2「太陽 二六ノ二」
       1920(大正9)年2月
       性質「太陽 二六ノ五」
       1920(大正9)年5月
       民俗1「太陽 二六ノ一三」
       1920(大正9)年11月
       民俗2「太陽 二六ノ一四」
       1920(大正9)年12月
    ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
    入力:小林繁雄
    校正:門田裕志、仙酔ゑびす
    2009年4月24日作成
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    • 「にんべん+其」    24-11、24-12、24-14
      「けものへん+胡」    29-9、72-4
      「けものへん+孫」    29-9、72-4
      「虫+隹」    31-7、31-15
      「據−てへん」    32-15
      「けものへん+矍」    32-16、127-10
      「けものへん+鴪のへん」    32-16、32-16、33-1、33-1、115-15、116-1
      「けものへん+斬」    33-1
      「鼬」の「由」に代えて「胡」    33-1
      「けものへん+(戎−ノ)」    33-2
      「口+慊のつくり」    33-12
      「さんずい+研のつくり」    35-4
      「けものへん+灌のつくり」    40-6
      「豸+兪」    41-1
      「女+亥」    82-4、91-7
      「赤+色」    109-15、124-3

    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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