猴に関する伝説(その13)

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猴に関する伝説インデックス

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  • 性質
  • 民俗1
  • 民俗2

  • (性質3)



     熊楠いわく、故ロメーンズ説に猴類の標本はどうしても十分集まらず、これはその負傷から死に至る間の惨状人をして顔をそむけしむる事甚だしきより、誰もこれを銃殺するを好まぬからだと。

    『三国志』に名高い呉に使して君命をはずかしめなんだ蜀漢の※(「登+おおざと」、第3水準1-92-80)とうしは、才文武を兼ねた偉物だったが、黒猿子を抱いて樹上にあるをを引いて射て母に中てしにその子ためにを抜き、木葉を巻きてそのきずふさぐ、芝嘆じてわれ物の性にたがえり、それまさに死せんとすと、すなわち弩を水中に投じたがやがてにわかに死んだという。

    南唐の李後主青竜山に猟せし時、一牝猴網に触れ主を見て涙雨下し※(「桑+頁」、第3水準1-94-2)けいそうしてその腹を指ざし示す。後主人をして守らしむるにその夕二子を生んだ。還って大理寺に幸し囚繋を録するに、一婦死刑にあたれるが妊娠中ゆえ獄中に留め置くと、いくばくならず二子を生んだ。後主猴の事に感じ死刑を減じ流罪にとどめた(『類函』四三二)。

     日本にも、櫛笥殿北山大原の領地で銃もて大牝猴をうかがうに、猴腹を示し合掌せしにかかわらず打ち殺し、そのたたりで煩い死んだと伝う(『新著聞集』報仇篇)。今年元日の『大正日々』紙に、越前の敦賀郡愛癸村字刀根の気比けひ神社は浪花節の勇士岩見重太郎が狒々ひひを平らげし処という。今も祭礼に抽籤ちゅうせんもて一人の娘を撰みひつに入れ、若者かつぎ行きて神前に供う。供わった娘は後日良縁を得とて競うてこれに中らんと望む。この村へ毎年二、三百疋の猴来り作物を荒すを村人包囲して捕え子猿を売る。孕んだ猴は腹を指さし命を乞うとあった。

    またしばしば熊野の猟師に聞いたは、猴に銃を向けると合掌して助命を乞う事多しと。これを法螺譚ほらばなしとけなし去らんとする人少なからぬが、一概にそうも言えぬ。

    数年前予が今この文を草し居る書斎に対して住みいた芸妓置屋の女将が愛翫したカジカ蛙が合掌して死んだは信心の厚い至りと喋々ちょうちょうして、茶碗の水ででもうるおしたものか、川穀(ズズダマ)大の涙を落し坊主に読経させて厚く葬ったと聞いた。

    善男信士輩、成湯せいとうの徳は禽獣に及びこの女将の仁は蛙をうるおすと評判で大挙して弔いに往ったは事実一抔くわされたので、予が多く飼うカジカ蛙が水に半ばうかんで死ぬるを見るに皆必ず手を合せて居る。これはこの蛙の体格と死に際の動作がしからしむるので念仏でも信心でもない。

    チャーレス・ニウフェルドの『カリーファの一囚人』(一八九九年板)に、著者が獄中にあって頭上で夥しく砲丸破裂の憂目うきめを見た実験談を述べて、その時獄中の人一斉に大腹痛大下痢を催したと書いた。われわれ幼時厳しくしかられ驚愕きょうがくく所を知らぬ時も全くその通りだった。

    因って想うに猴も人も筋肉の構造上から鉄砲など向けらるると自ずと如上じょじょうの振る舞いをするので、最初は驚怖が合掌を起し、追々恐怖が畏敬に移り変って合掌する事となったので、身持ちの牝猴も女も、恐怖極まる時は思わず識らず指が腹に向くので、さもなき牡猴や男にも幾分その傾向を具え居るので、時として孕婦の真似するよう見えるのでなかろうか。

     ペッチグリウ博士続けていわく、予かつて高等哺乳動物の心室と心耳の動作を精測したき事あって一疋の猴の躯をふくろに入れてひっ掻かるるを防ぎ、これにクロロホルムを施すに猴あたかも予の目的を洞察せるごとく、悲しみ気遣いながら抵抗せず、予のまましたがいしはうたた予をして惻隠そくいんの情に堪えざらしめた。その行い小児に強いられてやむをえず麻薬を施さしむるに異ならず、爾来どんな事あるも予は再び猴に麻薬を強うるを欲せず。

    またある時ロンドンの動物園で飼いいた黒猩(チンパンジー)がことのほか人に近い挙止を現ずるを目撃した。それは若い牝だったが、至って心やすい番人よりその大好物なる米と炙肉汁の混ぜ物を受けしずかに吸いおわり、右手指でその入れ物ブリキかんの底に残った米を拾い食うた後、その缶を持って遊ぼうとするを番人たって戻せと命じた。

    そこで黒猩にわかにすね出し、空缶を番人に投げ付け、とこに飛び上り、毛布で全身を隠す、そのてい気まま育ちの小児に異ならなんだ。

    ロメーンズの記に、牝猩々が食後空缶をさかさまに頭にかぶり観客が見て笑うを楽しみとした事あり。サヴェージ博士は黒猩時に遊楽のみのために群集し、棒で板を打って音を立つ事ありというた。猴どもが動物園内で軽業を面白可笑おかしく楽しむは皆人の知るところで、機嫌好く遊ぶかと見ればたちまちムキになって相闘い、また毎度人間同様の悪戯をなす。

    アンドリウ・スミス男喜望峰で見たは、一士官しばしばある狗頭猴を悩ます、ある日曜日その士盛装して来るを見、土穴に水を注ぎ泥となし、にわかに投げ掛けてその服を汚し傍人を大笑せしめ、爾後その士を見るごとに大得色を現じた由。

     猴は極めて奇物を好む。鏡底に自分の影映るを見て他の猴と心得、急にその裏を覗き見る。後、その真にあらざるを知り大いにたぶらかされしを怒る。また弁別力に富む。

    レンゲルいわく、一度刃物で怪我けがした猴は二度とこれにさわらず、あるいは仔細に注意してこれを執る。砂糖と蜂を一緒に包んだのを受けて蜂にされたら、その後かかる包みを開く前に必ず耳に近付けて蜂の有無を聞き分ける。一度ゆで卵を取り落してこわした後は、卵を得るごとに堅い物で打ち欠き指もてその殻をぐ。また機巧あり、ベルトがた尾長猴はいかにこんがらがった鎖をも手迅てばやく解き戻し、あるいは旨く鞦韆ぶらんこを御して遠い物を手に取り、また己れを愛撫するに乗じてその持ち物をった。

    キュヴィエーが飼った猩々は椅子を持ち歩いてその上に立ち、思うままに懸け金をはずした。レンゲルはある猴はてこ[#「てこの」は底本では「てこの」]用を心得て長持ながもちふたを棒でこじあけたというた。ヘーズン一猴を飼いしに、そのかごの上に垂れた木の枝に上らんと望めど、籠の戸の上端にじ登って始めて達し得。しかるにこの戸を開けばたちまち自ずから閉ずるつくりゆえ何ともならず。その猴取って置きの智慧をふるい、戸を開いてその上端に厚き毛氈を打ち掛け、戸の返り閉づるをふせぎ、やすやすと目的を遂げたそうだ。

    シップは喜望峰狗頭猴、下より来る敵を石などを集め抛下ほうかして防ぐといい、ダムピエート・ウェーファーは猴が石で牡蠣かきを叩き開くを記す。多くの下等動物や小児や蛮民同様、猴は多く真似をする。皆人の熟知する通り。行商人、炎天に赤帽の荷をにない歩みつかれて猴多き樹下に止まり、荷箱を開いて赤帽一つ取り出しかぶって眠るを見た猴ども、樹より降りて一々赤帽を冒り樹に登る。その人めて多くの帽失えるを知り失望してその帽を地になげうつと、衆猴その真似してことごとく盗むところの帽を投下し、商人測らず失うところを残らず取り還したてふ話があると

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    「猴に関する伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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