鼠に関する民俗と信念(その20)

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     濠州土人の婦女は食物袋に必ず鼠三疋は入れる。ニウカレドニア、ニュージーランドの土人、東アフリカのマンダンダ人、インドのワッダル人など鼠を常食する者が多い(スペンセルの『記載社会学』。ラッセルの『人類史』英訳二。バルフォールの『印度事彙』三板三巻)。一九〇六年板ワーナーの『英領中阿非利加アフリカ土人』には好んで鼠を食うが婦女や奉牲者に食うを禁ずとあり。而してムベワてふ小鼠殊に旨いそうで、小児ら掘り捉えあぶり食う四葉の写真を掲げ居る。

    リヴィングストーンの『南阿行記』十八章には、ムグラモチと小鼠のほか食うべき肉ない地を記す。ボスマンの『ギニア記』には、その地に猫より大きな野鼠ありて穀を損ずる事夥し、その肉すこぶる旨いが、鼠と知っては欧人が嫌うから、首足と尾を去って膳に上すと載す。一六七六年マドリット板、ナワレッテ師の『支那記』六四頁にこの宣教師支那で鼠を食う御相伴おしょうばんをして甚だ美味と評しある。

    本朝には別所長治の三木籠城や滝川益氏の高松籠城に牛馬鶏犬を食い、後には人まで食うたと聞くが、鼠を食うたと見えぬ(『播州御征伐之事』。『祖父物語』)。支那では漢の蔵洪や晋の王載の妻李氏が城を守り、蘇武が胡地に節を守った時鼠を食うたという。

    しかし『尹文子いんぶんし』に周人鼠のいまだ※(「月+昔」、第3水準1-90-47)せき(乾肉)とされないものをはくというとあるそうだから考えると、『徒然草』に名高い鰹同前、最初食用され、中頃排斥され、その後また食わるるに及んだものか。唐の※(「族/鳥」、第4水準2-94-39)ちょうさくの『朝野僉載ちょうやせんさい』に、嶺南の※[#「けものへん+僚のつくり」、395-6]民、鼠の児目明かず、全身赤くうごめくものに、蜜を飼い、はしはさみ、取って咬むと喞々しつじつの声をなす、これを蜜喞みつしつといいて賞翫するとあり。『類函』に引いた『雲南志』に、広南の儂人、飲食美味なし、常に※(「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2-94-69)けいその塩漬けを食うとあり。明の李時珍が、嶺南の人は、鼠を食えどその名を忌んで家鹿と謂うと言った。して見ると鼠は支那で立派な上饌じょうせんでない。

    一七七一年パリ板ターパンの『暹羅シャム史』にいわく、竹鼠は上饌なり、常鼠に似て尾赤く、毛なく、蚯蚓みみずのごとし。猫ほど大きく、竹を食い、殊にたけのこを好む。家ごとに飼うに、人に馴れて、常鼠を殺せど、その害は常鼠に過ぎたりと。これは支那で竹※ちくりゅう[#「鼬」の「由」に代えて「留」、395-12]一名※(「けものへん+屯」、第4水準2-80-31)ちくとん※(「けものへん+屯」、第4水準2-80-31)は豚と同じく豕の子だ、肥えて豚に似る故名づく。あしの根をも食う故、菅豚ともいう。竹の根を食う鼠で土穴中におり、大きさ兎のごとし、人多くこれを食う。味鴨肉のごとし、竹刺ちくし、人の肉に入りて出ざる時これを食えば立所たちどころに消ゆる。福建の桃花嶺に竹多くこの鼠実に多し(『本草綱目』五一下。大阪板『※(「門<虫」、第3水準1-93-49)びんしょ南産志』下)。

    これはリゾムス属の鼠で、この属に数種あり、支那、チベット、インド、マレー諸島に住む。日本にも文化の末、箱根山に鼠出で竹の根を食い竹ことごとく枯れた。その歯強くてややもすれば二重網を咬み破ったとさ(『即事考』四)。安政二年、出羽の代官からかようの鼠に関し差し出した届けの朱書に、その鼠、色赤く、常鼠より小さく、腹白く、尾短しとある由(『郷土研究』二巻、白井博士「野鼠と竹実」)。リゾムス属の物と見えぬが食い試みたら存外珍味かも知れぬ。アフリカの蘆原に穴居する蘆鼠は、アウラコズス属の鼠で肉味豚に似るから土豚の称あり。焼き食うて珍重さる(シュワインフルトの『阿非利加アフリカの心』十六章)。

     それから東西洋とも鼠を医療に用いた事多く、プリニウスは鼠を引きいて蛇に咬まれたきずへ当てたらよいと言った。また鼠の肝を無花果いちじくに包んで豚に食わすとどこまでも付いて来ると言った。豚を盗む法だ。この法は人にもきくとあるから、イモリの黒焼きを買うに及ばぬ。ただしその人油一盃呑んだらきかぬとある。英国の民間療法に鼠を用ゆる事多い中について、鼠を三疋炙って食わばどんな寝小便でもやまるという(『ノーツ・エンド・キーリス抄記』一六四一頁)。これは日本でもいう事だ。

    漢方には牝鼠を一切用いず。和方もさようと見えて、指の痛みを治するに雄鼠糞と梅仁ばいにんを粉にし飯粒でまぜ紙に付けてるべし、雄鼠の糞は角立てあり、雌鼠の糞は丸しとある(『譚海』一五)。貝原篤信先生は、ちと鼠から咬まされた物か、猫を至って不仁な獣とけなし、鼠は肉、肝、胆、外腎、脂、脳、頭、目、脊骨、足、尾、皮、糞皆能あり用うべし。およそ一物の内、その形体処々功能多き事鼠にえたる物なしと賞賛した(『大和本草』一六)。

     およそ鼠ほど嫌いにくまるる物は少ないが、段々説いた所を綜合すると、世界の広き、鼠を食って活き居る人も多く、迷信ながらもこれを神物として種々の伝説物語を生じた民もあり。鼠も全く無益な物でないと判る。

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    底本:「十二支考(下)」岩波文庫、岩波書店
       1994(平成6)年1月17日第1刷発行
    底本の親本:「南方熊楠全集 第一・二巻」乾元社
       1951(昭和26)年
    ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
    ※「コラン・ド・プランシー」と「コラン・ド・ブランシー」の混在は底本通りにしました。
    入力:小林繁雄
    校正:門田裕志、仙酔ゑびす
    2009年8月23日作成
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    • 「こざとへん+亥」    343-5、361-5
      「寨」の「木」に代えて「禾」    343-12
      「木+号」    344-7、344-7
      「けものへん+僚のつくり」    395-6
      「鼬」の「由」に代えて「留」    395-12

    「鼠に関する民俗と信念」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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