鼠に関する民俗と信念(その17)

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     鼠は好んで人の物を盗みかくす。西鶴の『胸算用むねさんよう』一に、吝嗇りんしょくな隠居婆が、妹に貰いし年玉金を失い歎くに、家内の者ども疑わるる事の迷惑と諸神に祈誓する。折節おりふし年末の煤払すすはらいして屋根裏を改めると、棟木むなぎの間より杉原紙すぎはらがみの一包みを捜し出し、見るにかの年玉金なり。全く鼠が盗み隠したと分ったとあり。幼少の頃読んだ物の名は忘れたが、浪人が家主方へ招かれ談して帰った跡で、その席に置いた金が見えず、浪人に質すと、われ貧に苦しみて盗めりとて謝罪し、早速一人娘を遊女に売って償却した。そののち大掃除をすると鼠の巣から見出した、浪人は償却しおわると直ぐ転住して行衛ゆくえ知れず、家主一生悔恨したとあった。

    支那にも『輟耕録』十一に、西域人木八剌、妻と対し食事す、妻金の肉しで肉を突いて、口に入れ掛けた処へ客が来た。妻肉さしをそのまま器中に置き、茶を拵えて客に出し回って求むるに肉さしなし。今まで傍にた小婢を疑うて拷問厳しくしたが、盗んだと白状せずに死んだ。一年余りして職人に屋根を修理せしむると、失うた金の肉刺しが石に落ちて鳴った。全く誰もいない内に来た猫が肉とともに盗み去ったものと分った。世事かくのごとくなるもの多し、書して後人のかがみとなすとあり。

    竜図公案りょうとこうあん』四にも似た話を出し居るが、鼠の代りに人が盗み取ったとし居る。山東唐州の房瑞鸞てふ女、十六で周大受に嫁し、男可立を生んで一年めに夫が死んだ、二十二歳で若後家となり、守節十七年、可立も名のごとく立つべき年齢になったので、妻を迎えやらんと思えど、結納金乏しくて誰も嫁に来らず。時に衛思賢という富氏五十歳で妻に死に別れ、房氏の賢徳を聞いて後妻に欲しいと望む。孔子は賢を賢として色に換うというたが、この人はその名のごとく賢をも女をも思うたらしい。

    房氏銀三十両を結納金に貰うて衛氏に改嫁し、更にその金を結納としてせがれ可立のために呂月娥てふ十八歳のよめを迎えた。しかるに可立は一向夫婦の語らいをせずに歳を過す様子、月娥怪しんで問うと、汝を迎うる結納金は母が改嫁して得たもの故、われかせいでこの金を母に還した上、始めて雲雨合歓を催そうと。月娥父の方へ帰ってその由を話すと、伯父が感心して三十両を工面して月娥に渡し、月娥夫の家に帰って房中でその銀を数え、厨内に収め、さて飯をかしぎに掛った。

    隣家の焦黒てふ者壁間よりうかがい知って、門より入り来りその銀をぬすむを、月娥はその夫帰ってわが房に入ったと思いいた。頃刻しばらくして夫帰り、午飯をきっした後、妻が夫を悦ばしょうと自室に入り見るに銀なし。どこへ持って行ったかと問うに夫は何の事か分らず、銀を取った覚えなしという。

    妻は夫がわが伯父が調達しくれた金でほかの女を妻に取る支度と心得、怒って縊死いしするところを近所の人々に救わる。その後焦黒雷に打たれて死し、腰に盗んだ銀包みがあったので事実が判った。衛思賢、可立夫婦の孝貞に感じ、三百金を可立に与え、自分がはらませた子を成長後自分亡妻の子として引き取る約束で、可立の母房氏を可立方へ帰したとは、よく義理の分った人だ。

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    「鼠に関する民俗と信念」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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