猪に関する民俗と伝説(その7)

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     ところが、ロメーンズは、豕の汚臭はもとその好むところにあらず、ただこの物乾熱よりも湿泥を好み、炎天に皮膚の焼かるるをいとうて泥に転がる。さればその汚く臭くなるは、豕自身よりは飼い主の過失だと論じある(『動物の智慧』五版、三四〇頁)。

    これは酒を好む者を咎めずに盃を勧めた人をめるような論で、ラクーンが食物を獲るごとに洗わずんばわず、猫が大便を必ず埋めるなどと異なり、豕が湿泥を好むはもっともとしても、本来汚臭を厭わず糞穢を食うというが、既にその大欠点といわざるを得ぬ。

    南洋タヒチ島原産で今日絶え果てた豕ばかりは、脚と鼻長く、毛羊毛ごとく曲り、耳短く立ちて一汎の豕より体小さく、清潔で汚泥を好まなんだという(エリスの『多島洲探究記』一八二九年版、三四九頁)。豕が泥中に転がる事人に飼われた後始まったのでなく、野猪既に泥中に転がるを好みこれをヌタを打つという。あぶ蚊をふせぐため身に泥を塗るのだそうな。ヌタは泥濘の義だ。食物に今日ヌタというも泥に似たからで、もとヌタナマスといったらしい。

    『醒睡笑』三に「天に目なしと思い、ヌタナマスを食いぬる処へ旦那来り見付けたれば、ちと物読みたる僧にやありけん、よきみぎりの入堂なるかな、ここに歴劫りゃくこう不思議の法味あり、まず天地の間に七十二候とて時の移るに応じ、物の変り行く奇特を申さん。田鼠化してうずらとなり、雀海中に入ってはまぐりとなり、鳩変じてわしとなるという事あるが、愚僧がさいにすわりたるあえもの変じてヌタナマスと眼前になりたる、この奇特を御覧ぜよ」てふ笑譚を出す。

    『本草啓蒙』四七に「野猪年を経るものは甚だ大にして牛のごとくなるものあり、甚だしきは背上木を生ずるものあり」。『甲子夜話』五一に、吉宗将軍小金原に狩りして、自ら十文目の鉄砲で五月白と名づけた古猪の頭をち、猪一廻りした処を衆人折り重なって仕留めた。年た物で鼻さきに白毛生じ、背には小木生じて花の白く咲けるよりこの名を負いしという。猪の類はすべて澗泥かんでいを以てその背を冷やす。これをニタという。この泥自ずから身毛に留まってこれに木生ぜしなりと。

    戦士の傷口に詰め込んだ土から麦が生えた話や、繃帯ほうたいの上に帽菌が生えた譚もあれば、全く無根でもなかろう。『曾我物語』に、仁田忠常が頼朝の眼前で仕留めた「幾年経るとも知らざる猪がふしくさかく十六付きたるが」とは誤写で、何とも知れがたいが、多分何かの木が生えていたとあったのかと思う。

     周密の『癸辛雑識』続上に、北方の野猪大なるもの数百斤、最も※(「けものへん+廣」、第4水準2-80-55)こうかん[#「けものへん+旱」、299-15]にしてりがたし、つねに身を以て松樹をり脂を取って自ら潤し、しかる後に沙中に臥し沙を膏に附く。これを久しゅうして、その膚堅く厚くて重甲のごとし、帯甲猪と名づく、勁弩けいどといえども入る能わず。

    これを聞きはつっての話か、または事実か、わが邦にも『本草啓蒙』四七に、毎夜野猪往来の道が幽谷に人の通行すべきほど長く続く、これをシシミチという。その路に処々大木の皮摩損するものあり。土地の掘れたる処あり。これ土あるいは木脂を身にけて堅くするなり。

    『本草集解』に、松脂まつやにかすめ沙泥にき、身に塗りて以て矢を禦ぐというこれなり。一条兼良いちじょうかねら公の『秋の寝覚ねざめ』下にも「猪と申す獣は猛なる上に、松の脂もて身を堅め候故矢も立つ事候はぬ由なれば、その心は武士の眼として猪の目すかす事になん」とある。猪の目という事は後に述べよう。支那人は松脂を長寿不死の妙剤とするところから、こんな説も出たであろう(永尾竜造氏の『支那民族誌』上巻一一四頁参照)。

     欧州でも、一七二四年ダブリン版、アーロン・クロッスリーの『紋章用諸物の意義』ちゅう、予未見の書に、野猪は角を具えぬが、獣中最強のものだ。強く鋭くて、能く敵を傷つくべき牙と、自ら身をまもるべき楯を持つ。しばしば肩と脇を樹に摺り堅めて楯とすると載せ、一五七六年ロンドン版、ジェラード・レーの『武装事記』には、野猪闘わんと決心したら、左の脇を、半日間※(「木+解」、第3水準1-86-22)樹に摺り付け堅めて、敵の牙の立たぬようにするとある由(一九二〇年、『ノーツ・エンド・キーリス』十二輯六巻二三八頁、クレメンツ氏説)。故に、彼方かなたの紋章を画くに、多くは材木を添えある。

     ついでにいう。享保三年板西沢一風にしざわいっぷう作『乱脛三本鑓みだれはぎさんぼんやり』六に、小鼓打ち水島小八郎、恩人に頼まれた留守中その妻を犯さんとして遂げず、丹波の猪野日村に旧知鷹安鷲太郎を尋ねる。鷲太郎山より帰り小八郎を見て、京へ登りしよりこのかた文一本くれぬ不届者ふとどきもの、面談せば存分いいて面の皮をぐべしと思いしが、向うししには矢も立たず、門脇のうばにも用というを知らぬ人でもなし、のふずも大方直る年、まず何として来るぞと問う。

    アラビヤ人の常諺に、信を守る義士は雄鶏の勇、牝鶏の察、獅子の心、狐の狡、※(「けものへん+胃」、第4水準2-80-43)はりねずみの慎、狼の捷、犬のあきらめ、ナグイルのかたちと、野猪の奮迅を兼ね持たねばならぬといったごとく、断じて行えば鬼神もこれを避くで、突き到る野猪の面には矢も立たぬという意かと思うたが、それでは通じない例が多いようだ。最近に、享保十八年板『商人軍配団』四を見ると、向う猪に矢が立たぬとて、直ちに歎かば、鬼のような物も、心のつのを折るものなりとありて、原意は、ともかく、当時専らあやまり入って来る者を、強いて苦しめる事はならぬというたとえに用いたと見える。昔の諺を解するは随分むつかしい。

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    「猪に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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