猪に関する民俗と伝説(その6)

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     また、既に書いた通り猪類皆好んで蛇を食う。それについて珍譚がある。定家卿の『明月記』建仁二年五月四日の条に「〈近日しきりに神泉苑にみゆきす、その中※猟ていりょう[#「彑/(比<矢)」、294-15]致さるるの間、生ける猪を取るなり、りて池苑を掘り多くの蛇を食す、年々池辺の蛇の棲を荒らすなり、今かくのごとし、神竜の心如何、もっとも恐るべきものか、俗に呼びていわく、この事に依り炎旱えんかん云々〉」。

    天長元年旱災の際、弘法大師天竺無熱池の善如竜王をこの池に勧請かんじょうして、三日間あまねく天下に雨ふる。その時大師、もしこの竜王他界に移らば、池浅く水減じてつねひでりし常に疫せんといった由(『大師御行状集記』六九—七一)。しかるに、当時後鳥羽上皇講武のためしばしば神泉苑に幸し、猪狩りを行うとて野猪を野飼いにされたので、年々池辺の蛇を食いその棲処すみかを荒らす故、蛇の大親分たる善如竜王が憤って雨を降らさぬと風評したのだ。

    西暦千七百年頃オランダ人ボスマン筆『ギニヤ記』に、フィダーの住民は蛇を神とす。一六九七年豕一疋神の肉を食いたいと謀反むほんを起し、蛇に咬まれた後あだうちがてら蛇を食いおわるを、側に在合いあわせた黒人が制し得なんだ。祠官蜂起ほうきして王に訴え、国中の豕を全滅せよと請うたのでその通りの勅令が出た。そこで黒人数千、刀を抜き棒を振って豕をみなごろしにせんといきまき、豕の飼い主また武装して豕の無罪を主張した。黒人遮二無二しゃにむに豕無数を殺した後、神の怒り最早安まっただろとて豕を赦免の令が出た。その後予フィダーに著いた時豕の値格外高かったので、よほどの多数が殺されたと知ったと(ピンカートンの『海陸紀行全集』一八一四年版、十六巻、四九九頁)。

     琉球人の伝説に、毒蛇ハブと蜈蚣むかでは敵でハブ到底蜈蚣にかなわない。因って次の呪言を唱えるとハブ必ず逃げ去る。その呪にいわく、ヨーアヤマダラマダラ(以下訳語)汝は(普通の)父母の子か、俺は蜈蚣の子ぞ、我行く先に這い居るならば、青笞で打ち懲らすぞ、出ろ出ろ(佐喜真興英氏の『南島説話』二八頁)。前に記した「この路に錦斑の虫あらば云々」という歌によく似おり、茅や野猪の代りにンカジ(ムカデ)があるだけちがって居る。蛇はあっちでもマダラというらしい。

     それからアリストテレスの『動物史』、八巻二八章に、カリア等に産するさそりはよく牝豕を殺す。牝豕は他の毒虫にさるるも平気だ。殊に黒い牝豕は蠍に殺されやすい。また蠍害を受けた豕は、水辺へ近づくほど速やかに死ぬとある。

    一昨年(大正十年)九月大連市の大賀一郎氏から、北満州産の蠍を四疋贈られ愛養中二疋は死んだが、二疋は現に生きおり、果して豕を螫し殺すかためさんと心懸くるも、狭い田舎の哀しさ豕が一疋もないから志を遂げ得ぬ。予がかかる危険な物を愛養し続くる訳は、蠍の腹に脚の変態でくしと名づくる物一対あり。その作用について欧人の説が臆測に過ぎずと察せられたからで、種々生品を観察して果して臆断と判った。

    それと同時に先人未発の珍事を発見したというは、皆人の知る通り、猫の四足を持って仰向けに釣り下げて高い庭から落すと、たちまち宙返りをして必ず四足を地上に立つる。一八九四年刊行『ネーチュール』五一巻八〇頁に出たマレー氏の写真でもよく判る。しかるに予蠍を小さい壺に入れ細かい金網を口に張って蓋とし置くと、蠍先生追い追い壺の内壁を這い上ってくだんの網の表を這い、予をして遺憾なくかの櫛の作用を視察せしむ。

    かくする内、予ふと指で網面をはじいて蠍を落すごとに、蠍はたちまち宙返りして腹を下にして落ち着く。この蠍、頭の端尖から尾の先まで四五—五七ミリメートルで、金網の裏面より落ち著く砂上まで四〇—五〇ミリメートル。されば自分の身長よりも短い間でかく宙返りをやらかすは、奇絶だとだけ述べ置く。むつかしい研究故詳しくは言えない。

     『淵鑑類函』四三六に、『孔帳』に曰く扶南ふなん人喜んで猪を闘わすとある。『甲子夜話』一七に家豕の闘戦を記して、畜中の沈勇なるものというべきかと評す。『想山著聞奇集』五に、野猪さかり出す時は牝一疋に牡三、四十疋も付きまとうて噛み合い、互いに血を流し朱になっても平気で群れ歩く。この時は色情に目暮れて人をも一向恐れず、甚だ不敵になり居ると載す。

    『中阿含経』一六にいわく、大猪、五百猪の王となって嶮難道を行く、道中で虎に逢い考えたは、虎と闘わば必ず殺さるべし。もしおそれ走らば諸の猪が我を侮らん。何とかこの難を脱したいとおもうて虎に語る。汝我と闘わんと欲せば共に闘うべし。しからずんば我に道を借して過ぎしめよと。虎曰く共に闘うべし、汝に道を借さずと。

    猪また語るらく、虎汝暫く待て、我れ我が祖父伝来のよろいけ来って戦うべしという。虎心中に、猪は我敵にあらず、祖父の鎧をたって何ほどの事かあらんとおもい、勝手にしろというと、猪還って便所に至り身を糞中にころがし、眼まで塗り付け、虎に向って汝闘わんとならば闘うべし。しからずば我に道を借せという。虎これを見て我常に牙を惜しんで雑小虫をすら食わず。いわんやこの臭猪に近付くべけんやと、すなわち猪に語って、我汝に道を借す、汝と闘わじという。

    猪過ぐるを得て虎を顧みて曰く、虎汝四足あり、我また四足あり、汝来って共に闘え、何を以て怖れて走ると。虎答えていわく、汝毛ちて森々しんしんたり、諸畜中下極たり、猪汝速やかに去るべし、糞臭堪ゆべからずと。猪自ら誇って曰く、摩竭と鴦の二国、我汝とともに闘うを聞かん、汝来って我と戦え、何を以て怖れて走る。虎答う、身を挙げて毛皆きたなし、猪汝が臭我を薫ず、汝闘うて勝ちを求めんと欲せば、我今汝に勝ちを与えんと。これは、鳩摩羅迦葉尊者くまらかしょうそんじゃが無分別な者にかなわぬという譬喩に引いたのだが、とにかく虎も猪の汚臭には閉口すると見える。

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    「猪に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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