猪に関する民俗と伝説(その11)

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     天主教の尊者アントニウスは教内最初の隠蟄者で専修せんじゅ僧の王と称せらる。西暦二五一年エジプトに生まれ、父母に死なれてその大遺産を隣人と貧民にけ尽し、二十歳からその生村で苦行する事十五年の後、移りてピスピル山の旧寨きゅうさいに洞居し全く世と絶つ事二十年。四世紀の初め穴から這い出て多く僧衆をあつめ、更に紅海際の山中に隠れ四世紀の中頃遷化せんげした。

    その苦行を始めた当座はあたかも、悉達しった太子出家して苦行六年に近く畢鉢羅ひっぱら樹下じゅげに坐して正覚しょうがくを期した時、波旬はじゅんの三女、可愛、可嬉、喜見の輩が嬌姿荘厳し来って、何故心を守って我をざる、ヤイノヤイノと口説き立てても聴かざれば、悪魔手を替え八十億の鬼衆を率い現じて、汝急に去らずんば我汝を海中になげうたんと脅かしたごとく、サタン魔王何卒なにとぞアントニウスの出家を留めんと雑多の誘惑と威嚇を加えた。

    すなわちまず海棠かいどう羞殺しゅうさいして牡丹を遯世とんせいせしむる的の美婦と現じて、しみじみと親たちは木のまたから君を産みたりやと質問したり、「女は嫌いと口にはいうて、こうもやつれるものかいな」などと繰りたり、私だってイじゃありませんかと、手で捜りに来たり、誘惑の限りを尽すも少しも動ぜぬから、今度はいよいよ化け物類の出勤時間、草木も眠る真夜中に、彼ら総出で何とも知れぬ大声でさわぎ立て、獅・豹・熊・牛・蝮蛇まむしさそり・狼の諸形を現じて尊者の身が切れ切れになるまでさいなんだが、本人はロハで動物園を拝見したつもりで笑うて居るかららちが明かず。

    時に洞窟の上開いて霊光射下り諸鬼皆※(「やまいだれ+音」、第3水準1-88-52)おしとなり、尊者のきずことごとくえて洞天また閉じ合うたという。この時サタンが尊者を誘惑擾乱じょうらんつとめたところが欧州名工の画題の最も高名な一つで、サルワトル・ロザ以下その考案に脳力を腎虚させた。

     それからまた奇談といわば、アントニウス尊者荒寥地こうりょうちに独棲苦行神を驚かすばかりなる間、一日天に声ありてアントニウスよ汝の行いはアレキサンドリヤの一くつ繕い師に及ばずと言う。尊者聞いてすなわちち、杖にすがって彼所に往きその履工を訪うと、履工かかる聖人の光臨に逢うて誠に痛み入った。爾時そのとき尊者おもてを和らげ近く寄って、われに汝の暮し様を語れという。

    履工これは畏れ入ります、もとより手と足ばかりの貧乏人故何たる善根も施し得ませぬ。ただし朝起きるごとに自分の住み居る市内一同のため、分けては、遠きに及ぼすは近きよりすで、自宅近隣の人々と自分同然の貧しい友達の安全を祈ります。それが済んで仕事に懸り活計のために終日働きます。人を欺く事が大嫌いだから、一切の偽りを避け約束した言は一々履行します。かくして私は妻子とともに貧しくその日を送りながら、つたない智慧の及ぶ限り妻子に上帝を畏敬すべく教えまする。このほかに、私の暮し様というものはありませんと語った。

    ラチマー曰く、この譚を聞いてまさに知るべし、上帝はそれぞれの職を勉めいつわらず正しく暮す者を愛すと、アントニウスまことに大聖だったが、この貧乏至極な履工は、上帝の眼に、アントニウスと何の甲乙なかったと。

    以上は予往年大英博物館で読んだ一七一三年ロンドン板ホイストンの『三位一体と化身に関する古文集覧』および一八四五年版コルリーの『ラチマー法談集』より抄し置いたものに、得意の法螺を雑えたので、すべてベイコン卿の言の通り法螺の入らぬ文面は面白からぬ。しかしこれから法螺抜きでやる。

     くだんのアントニウス尊者は紀州の徳本とくほん上人同様、不文の農家の出身で苦行専念でやり当てた異常の人物だ。その値遇ちぐうの縁で出家専修した者極めて多ければ、当時エジプトの人数が僧俗等しといわれた。そのコンスタンチン大帝の厚聘こうへいしりぞけてローマに拝趨はいすうせなんだり、素食そしょく手工で修業して百五歳まで長生したり、臨終に遺言してその屍の埋地を秘して参詣の由なからしめ、以てガヤガヤ連の迷信の勃興を予防したなど、その用意なかなか徳本輩の及ばないところだ。

    されば今に※(「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53)およんで欧州諸国にその名を冠した寺院も男女も多い(ギッボンの『羅馬衰亡史』三七章。スミスの『希羅人伝神誌辞彙』一八四四年版一巻二一七頁。チャムバースの『日次書』一巻一二六頁。『大英百科全書』十一版二巻六九頁参照)。

     さてアントニウス尊者の伝を究めて吾輩のもっとも希有けうに感じた一事は、この尊者壮歳父母に死に別れた時、人間栄華一睡の夢と悟って、遺産をことごとく知友貧人に頒与はんよし、百千の媚惑脅迫と難闘して洞穴や深山に苦行をかさねたが、修むるところ人為をいでずで、妻を持ち家を成し偽り言わず神を敬し、朝から晩まで兀々こつこつと履の破れを繕うて、いと平凡に世を過したアレキサンドリヤの貧しい一靴工に比べて、天の照覧その功徳に径庭けいてい少しもなしと判ぜられた。して見ると、この靴工が毎朝隣人や貧者のために真心籠めた祈念の効は、尊者が多大の財産を慈善事業にき散らしたのと対等で、一生女に寄り付かず素食して穴居苦行しただけ尊者の損分じゃてや。

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    「猪に関する民俗と伝説」は『十二支考〈下〉』 (岩波文庫)に所収

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