蛇に関する民俗と伝説(その22)

蛇に関する民俗と伝説インデックス

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  • (付)邪視について
  • (付)邪視という語が早く用いられた一例

  • (異様なる蛇ども1)

         異様なる蛇ども

     前項にいった、わが邦中国のトウビョウ蛇神が、体短く中太いというについて、必ず聯想さるるは、野槌のづちという蛇である。『沙石集』に叡山の二僧相約して、先立ちて死んだ方がおくれた者にきっと転生うまれかわり、所を告ぐべしといった後、まず死んだ僧が残った僧の夢に見えて、我は野槌に生まれたといった。それはまれに深山にある大きな獣で、目鼻手足なく口ばかりありて人を食う。これ名利を専らにして仏法を学び、口先のみ賢く、智の眼、信の手、戒の足一つもなかったから、かかるのっぺら坊に生まれたとづ。

    和漢三才図会』には、これを蛇の属としいわく、
    〈深山木竅中これあり、大は径五寸、たけ三尺、頭尾均等、而して尾尖らず、槌の柄なきものに似る、故に俗に呼びて野槌と名づく、和州吉野山中、菜摘川、清明の滝辺に往々これを見る、その口大にして人脚をむ、坂より走り下り、甚だ速く人を逐う、ただし登行極めて遅く、この故にもしこれに逢わば、すなわち急ぎ高処に登るべし、逐い著く能わず〉。

    紀伊続風土記』に、ほとんど同様の事を記し、全身蝮のごとく、噛まば甚だ毒あり、牟婁郡山中稀に産す、『嶺南雑記』に、〈瓊州冬瓜蛇あり、大きさ柱のごとくしてたけただ二尺余、その行くや跳び躍る、逢々として声あり、人をし立ちどころに死す〉とあると同物だろうという。

    予が聞き及ぶところ、野槌の大きさ形状等確説なく、あるいは※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)もぐらもち様の小獣で悪臭ありというが、『沙石集』の説に近い。あるいは、長五、六尺で面桶めんつうほど太く、頭が体に直角をなして附した状、槌の頭が柄に著いたごとしといい、あるいは長二尺ほどの短大な蛇で、孑孑ぼうふりまた十手を振り廻すごとく転がり落つとも、馬陸やすでごとく環曲まがって転下すともいい、また短き大木ごとき蛇で大砲を放下するようだから、野大砲のおおづつと呼ぶ由を伝え、熊野広見川で実際見た者は、蝌斗かえるこまた河豚ふぐ状に前部肥えた物で、人に逢わばいかり睨み、大口開きて咬まんとする態すこぶる滑稽おどけたりといった。

    日高郡川又で聞いたは、この物倉廩くらこもる事往々ありと。また大和丹波市近処に捕え来て牀下ゆかしたうと、眼小さく体たわらのように短大となり、転がり来て握り飯を食うに、すこぶる迂鈍うどんなるを見たと語った人あり。写真を頼むと安く受けれたが、六、七年も音沙汰を聞かぬ。

     野槌は最初神の名で、諾冉二尊が日神より前に生むところ、『古事記』に、野神名鹿屋野比売かやぬひめ、またの名野椎ぬつちの神という。『日本紀』に、草祖草野姫くさおやかやぬひめまたの名野槌のづちと見えて草野の神だ。その信念が追々堕落する事、ギリシアローマの詩に彫刻に盛名をせた幽玄絶美な諸神が、今日藪沢そうたくに潜める妖魅に化しおわったごとくなったものか。

    文選』の和訓には、支那の悪鬼人間じんかんにありて怪害をすてふ野仲やちゅうをノヅチと訳した。それからちょうど古ギリシアローマの名神に、蛇妖となり下ったものあるように、野槌も草野の神から悪鬼、次に上述通りの異態な蛇を指すと移ったものか。

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    「蛇に関する民俗と伝説」は『十二支考〈上〉』 (岩波文庫)に所収

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