南方熊楠略年譜

 ※本ページは広告による収益を得ています。

南方熊楠略年譜

 

年齢
(数え)
 
1867年
慶応3年
1 5月18日(慶応3年4月15日)、南方弥兵衛の次男として生まれる。
1876年
明治9年
10 和漢三才図会』を筆写し始める。
1879年
明治12年
13 和歌山中学入学。
1884年
明治17年
18 東京大学予備門入学。
1886年
明治19年
20 東京大学予備門退学。
1887年
明治20年
21 渡米。ミシガン州立農科大学入学。
1888年
明治21年
22 ミシガン州立農科大学退学。
1893年
明治26年
27 渡英、大英博物館で東洋関係の資料の整理を手伝いをする仕事を得る。
ネイチャー』に最初の論文「極東の星座」を掲載。
土宜法竜と出会う。
1897年
明治30年
31 オランダの東洋学者シュレーゲルとの「落斯馬(ロスマ)論争」。
孫文と出会う。
大英博物館内でイギリス人を殴打。
1900年
明治33年
34 帰国。和歌山に滞在。
1901年
明治34年
35 和歌山で孫文と歓談。
勝浦へ。
1902年
明治35年
36 那智へ。
1904年
明治37年
38 田辺へ。
1906年
明治39年
40 闘鶏神社社司田村宗造の四女松枝と結婚。
1909年
明治42年
43 神社合祀反対の意見を発表し始める。
1911年
明治44年
45 南方二書 」を執筆。
1912年
明治45年
46 神社合祀に関する意見 」を執筆。
1913年
大正2年
47 柳田国男が訪問。
1917年
大正6年
51 自宅の柿の木から新種の粘菌を発見。
1925年
大正14年
59 履歴書 」を執筆。
1929年
昭和4年
63 昭和天皇を田辺湾神島に迎え、御召艦長門上で粘菌学を進講。粘菌標本110点を進献。
1941年
昭和16年
75 12月29日死去。
高山寺に埋葬される。

 

南方熊楠の生涯 南方熊楠のエピソード 南方熊楠語録 南方熊楠グッズ


参考文献:『南方熊楠 (新文芸読本)』 河出書房新社




 南方熊楠の主要著作  おすすめ南方熊楠関連本

Copyright © Mikumano Net. All Rights Reserved.