源義経


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  • 源義経(みなもと の よしつね)

    源義経(1159年〜1189年)。平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。
    幼名は牛若丸(うしわかまる)。鞍馬寺に預けられ遮那王と名乗り,後に藤原秀衡を頼って奥州平泉に。
    兄頼朝が伊豆で挙兵すると、義経は兄のもとに馳せ参じ、 源平の合戦に活躍。
    義経は平家を滅ぼす最大の功労者となりましたが、兄頼朝にうとまれ、平泉に落ち延びます。
    しかし身を寄せていた平泉の軍勢に囲まれ、自害して果てました。享年31。



    源義経

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その39)
    文中に見る基成は泰衡やすひららの外祖父で義経戦死の節自殺した。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その2)
    東漢の主劉旻、戦敗の節乗って助かった馬を自在将軍と称え、三品の料を食わせ厩を金銀で飾った。その他哥舒翰かじょかんがその馬せき将軍の背に朝章ちょうしょうを加え、宋徽宗きそうがその馬に竜驤りゅうじょう将軍を賜うたなど支那にすこぶる例多いが、本邦にも義経五位尉ごいのじょうに成れた時かつて院より賜わった馬をも五位になす心で太夫黒と呼んだなど似た事だ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その11)
    ホンダワラ一名神馬草、神功じんぐう皇后征韓の船中まぐさに事欠き、この海藻を採って馬に飼うた故名づくと(『下学集』下)。『能登名跡志』またこの藻もて義経が馬に飼うたてふ、俚伝を載す。

    南方熊楠の随筆:十二支考 馬に関する民俗と伝説(その15)
    『東鑑』文治元年義経都落ちの条に、昔常盤御前が操を破りて清盛につかえ娘を設けたは三子の命乞い故是非なしとして、そのちょう衰えては出家して義朝の跡を弔いそうなところ、いわゆる三十後家は立たないせいか、一条大蔵卿長成に嫁して生んだ侍従良成てふがその異父兄義経と安否を共にすべく同行した事見え、『曾我物語』には曾我兄弟の母が兄弟の父より前に京の人に相馴れて生んだ異父兄京の小次郎を祐成すけなりがその父の復仇に語らい掛くる事あり。






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