小笠原誉至夫

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  • 小笠原誉至夫(おがさわら よしお)

    小笠原誉至夫。
    南方熊楠(1867~1941)と小・中学、大学予備門と席を並べた友人。
    和歌山実業新聞創始者。社会主義者。

    熊楠が小笠原誉至夫に宛てた書簡は『竹馬の友へ―小笠原誉至夫宛書簡 自由民権・御進講孫文関係新資料』で読むことができます。25通収録。



    小笠原誉至夫

    南方熊楠の手紙:浄愛と不浄愛,粘菌の生態,幻像,その他(現代語訳14)
    あり合わせた紙に書き付けて彼女の第四兄に渡し、まず長兄の霊前に行って供えさせた。それからその宅に行き、一緒に写真撮影。この写真は小笠原誉至夫(よしお)氏(現存する小生の最旧友のひとり。かつて国会へ馬糞を投げたり、鳥尾得庵を殴りに行ったり、相場師になったり、いろいろと変わって今も和歌山で健在)が一昨年、御臨幸の前に『大阪毎日』紙へ出し、まことに立派な一族団らんであると世評があった。

    この小笠原は才物で、小生が大伝馬町の保証人方へ学資1ヶ月分を受けに行った¥て帰ると、後ろからいつもと違って丁寧に話しかけて来る。気味が悪いので、本町の薬肆どもの前を一目散に走り出すと、たちまち大声で「スリだー、スリだー」。薬店の小僧らが出て来て、そのころ店で使っていた勇み肌の熊公、金さんなど、ふてい奴だ、この野郎と、小生の胸ぐらをとりすえた。小生は 服で、彼は吉原通いの美装なため、スリと見られるのも異論はない。逃げる奴を「スリだ」と呼んで止めるのは話は何か落語の本に出ているとのこと。

    ここで小笠原はその落語をかねてから聞いていて当場に応用したのか、自分の才幹でその場で案出したのかという疑問が起こる。小生は両可説を唱えたい。小笠原ほどの才物にはそれくらいの考えはいつでも湧出するだろう。それと同時に毎度寄席などへ行った人なので、そんな話は脳裏にしみ込んでいたのであろう。当人に聞いてみなければどちらが真実かわからない。


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