康熙帝

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  • 康熙帝(こうきてい)

    康熙帝(1654年〜1722年)。清の第4代皇帝(在位期間は1661年〜1722年)。
    唐の太宗とともに、中国歴代最高の名君とされます。
    イエズス会宣教師、フェルディナント・フェルビースト(南懐仁)を側近としました。



    康熙帝

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳8)
    しかしながら、近年日清戦争が起こると聞いて、ブータン(インドの北にある小国。これは康煕帝に征服されたことがある)の土民が4、5人、義兵のつもりでわざわざ数ヶ月難苦して積雪のなかを歩き北京に赴き、支那の官憲は大いにありがた迷惑に感じて、1日50銭とかを支給してこれを礼遇していたと聞く。これは支那という国は弱まっても、その名号がまだ盛んに世界に残っている証拠である。(孫はさすがにこのブータンの例は引かず、別にカシュミルなどの例を引いたと記憶する)。

    南方熊楠の手紙:履歴書(現代語訳35)
    トウショウというアカザのようなものは、蒙古では非常に人馬の食糧となるものであり、それなのに参謀本部から農務省にこの物の調査どころか名を知った者もいない。支那では康煕帝親征のときみずから砂漠でこの物を試食し、御製の詩さえあるのだ。

    南方熊楠の随筆:十二支考 虎に関する史話と伝説民俗(その4)
    虎を狩る法は種々あり、虎自身が触れ動かして捕わるる弾弓や、落ちたら出る事ならぬおとしあなや木葉にもち塗りて虎にねばりつき狂うてついに眼が見えぬに至らしむる設計しかけ等あるが、欧人インドで虎を狩るには銃を揃え象に乗って撃つのだ。康煕帝自ら虎狩せしを見た西人の記には専ら槍手隊を使うたよう出で居る。遼元の諸朝は主として弓を用いたらしい。

    南方熊楠の随筆:十二支考 兎に関する民俗と伝説(その4)
    天主僧ガーピョンの一六八八より一六九八年間康煕帝の勅を奉じ西韃靼だったんを巡回した紀行(アストレイ『新編紀行航記全集ア・ニュウ・ゼネラル・コレクション・オヴ・ウオエージス・エンド・トラウェルス』巻四、頁六七六)に帝が露人と講和のため遣わした一行がカルカ辺で兎狩した事を記して歩卒三、四百人弓矢を帯びて三重に兎どもを取り巻き正使副使と若干の大官のみ囲中に馬をせて兎を射、三時間足らずに百五十七疋取った。


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